レーニン死後の権力闘争と独裁体制の確立
1924年の指導者の死後、党内では革命の進め方をめぐって対立が激化した。一方は国際的な革命の継続を重視し、他方は一国内での体制確立を優先する立場をとった。やがて後者の立場が優勢となり、1930年代には個人への権力集中が進行した。
レーニンが死去した年は(1)である。
世界革命論の継続を主張し、後継者争いで対立した人物は(2)である。
一国での社会主義の実現を主張し、最終的に実権を握った人物は誰か。(3)
レーニンの理論では、特定の党指導者が強大な権力を行使した場合でも、それを抑制する制度は十分に整備されていなかった。このような状況の帰結として1930年代に確立した体制として最も適切なものはどれか。(4)
1930年代に行われ、反対者のみならず軍指導者や市民、外国人共産主義者も対象とした大規模な弾圧は(5)と呼ばれる。
次の各文について◯か✗か答えなさい。
レーニンの理論では、指導者の権力を制度的に厳しく制限する仕組みが整っていた。(6)
1930年代の弾圧は、党内の反対者に限定されていた。(7)
後継者争いの結果、対立を制した人物が実権を掌握した。(8)
工業化政策と生産量の推移
第一次世界大戦の勃発や新政権成立直後の経済政策は、生産活動に大きな影響を与えた。その後、1920年代の政策転換と計画経済の導入により、重工業部門の拡大が進められた。下の資料は1890年から1940年までの鉄生産量の推移を示している。
1914年に勃発した(9)と、その後の政策により工業生産は停滞した。
新政権成立直後に実施され、経済統制を強めた政策は(10)である。
1920年代に導入され、国内の安定をもたらした政策は(11)である。
1928年に開始され、重工業の発展を重点とした計画は(12)である。
資料によれば、1940年のロシア(ソ連)の鉄生産量は(13)(万トン)である。
1890年から1940年にかけての推移に着目したとき、1930年から1940年の10年間でロシア(ソ連)の生産量は1200から(14)へと増加している。
農業集団化とその影響
工業化の推進と並行して、農村社会にも大きな変化がもたらされた。「階級としての富農の消滅」という目標のもとで政策が実行され、土地や家畜などの所有形態が転換された。しかし、その過程で深刻な社会的影響が生じた。
農業の分野で進められた政策は、土地や穀物、家畜などを共有財産とする(15)である。
この政策の結果、穀物の生産性はどうなったか。最も適切なものはどれか。(16)
政策に反発した農民のうち、強制収容所や流刑の対象となった人数は約(17)にのぼる。
穀物の生産性の変化と農民への処遇を組み合わせて考えた場合、農業政策がもたらした影響として最も適切なものはどれか。(18)
次の各文について◯か✗か答えなさい。
農業の集団化では、土地や穀物、家畜が共有財産とされた。(19)
集団化の結果、穀物の生産性は大きく上昇した。(20)
政策に反発した農民の一部は強制収容所や流刑となった。(21)
反発した農民の規模は約1000人程度にとどまった。(22)