室町時代の外交②
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出題内容
- 問1: 倭寇の制圧で名声を得た ____ が、1392年に高麗を滅ぼして____を建国した。朝鮮は日本に対しての取り締まりを要求し、義満もこれに応じて日朝の国交がひらかれた。日朝貿易は、明との貿易と異なり、国王だけに許された独占貿易ではなく、西国の守護や国人、博多の商人などが参加した。そこで朝鮮は対馬の____を通じて貿易を統制しようとした。朝鮮からは、木綿などが輸入された。1419年、朝鮮軍が大挙して倭寇の本拠地の対馬を襲撃したが ( ____ )、貿易は再開され、続いた。1510(永正7)年、 ____がおこると、日朝貿易は衰退へと向かった。
- 問2: あらわれて____(城)をつくった。14世紀になると政的な統合がすすみ、中山・山南(南山)・山北(北山)の三山が分立抗争するようになった。1368年に明が成立すると、三山の王が明の冊封を受けて朝貢貿易をおこなった。1429年、中山王の____は三山を統一して琉球王国をたて、都を首里においた。明が海禁政策をとっていたため,中国人海商は海外に出ることができなかった。そのなかで琉球は、東アジア、東南アジア海域で____に活躍した。
- 問3: 津軽の____は、14世紀には北方地域と畿内を結ぶ日本海交易の拠点となり、サケ・コンブ・毛皮などが京都に送られた。蝦夷地とよばれた北海道では古くからアイヌが住み、漁業や狩猟の生活を送り独自の文化を築いていた。やがて和人は渡島半島南部に進出し、アイヌとの間でさかんに交易をおこなった。和人たちは津軽の安藤(安東)氏の支配下にあり、半島南部の沿岸ぞいに居住地を広げた。その有力者が____といわれる領主に成長すると、彼らは買易の利益を独占しようとした。
- 問4: 館主の圧迫が強くなると、1457(長禄元)年、アイヌは大首長____を中心に蜂起し、和人の館を次々に攻め落とした。しかし、上ノ国の館の領主蠣崎氏によって鎮圧され、蠣崎(かきざき)氏は安藤氏にかわって道南の和人居住地の支配者となった。だが、その後もアイヌの抵抗は続いた。
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