明から清へと王朝が移るなかで、中国の海上活動に対する統制は段階的に変化した。倭寇対策として始まった政策は、ある勢力の平定を契機に緩和され、ヨーロッパやロシアとの交易にも影響を与えた。これらの動きは、朝貢を中心とする従来の秩序とどのように関わっていたかを踏まえて答えなさい。
明の時代に倭寇を取り締まるために始まり、漁業活動や貿易、海外渡航などを制限した政策は(1)である。
この政策のもとで、公式な貿易として認められた形式は(2)である。
台湾の鄭成功率いる抵抗勢力を平定した王朝は(3)であり、この出来事を契機に海上活動への制限が緩和された。
首都から遠い辺境で実施され、朝貢貿易のような免税などの優遇がなく、厳しい制限のもとで行われたヨーロッパとの交易形態はどれか。(4)
中国南部の一港に限定して特許商人と取引させる体制をとった皇帝は誰か。(5)
ロシアとの交易は国境付近のキャムタで実施され、中国産の糸や絹などが取引された。次の各文について◯か✗か答えなさい。
17世紀半ば、幕府はキリスト教の禁止を徹底する方針のもとで貿易統制を強化した。日本人の海外渡航や帰国も禁じられ、東南アジアに発展していた日本町は衰退した。交易は特定の窓口に限定され、それぞれが異なる相手と結びついていた。
幕府が民間貿易を禁じ、交易を管理下の四つの窓口に限定した体制は、のちに(9)と呼ばれた。
アイヌとの交易(昆布・鮭・俵物など)を行った地域はどれか。(10)
釜山の倭館を通じて朝鮮との交易を担い、将軍の代替わりに通信使が派遣された地域はどれか。(11)
長崎では唐人屋敷で清と交易が行われたが、オランダとの交易が行われた場所はどれか。(12)
次の対応のうち、正しい組合せをすべて選べ。(13)
「鎖国」下で幕府が海外の情報を得るために活用したものは(14)である。
18世紀初頭、金銀流出への対応として新たな統制策が打ち出された。1715年に出された法令では、入港数や決済方法、許可制度などが具体的に定められ、国内産業への影響も現れた。
1715年に出された法令の名称は(15)である。
この法令を主導し、金銀の輸出制限を行った人物は誰か。(16)
この法令では、清とオランダの船について長崎への入港数と貿易額が制限された。入港地として定められた港はどれか。(17)
金・銀での決済をやめ、銅の限度額を超えた分は俵物で支払うとされた。俵物の具体例として挙げられているものはどれか。(18)
密貿易防止のため、どのような船のみが入港を認められたか。(19)
次の各文について◯か✗か答えなさい。
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